11.いぶし瓦と松脂(ロジン)
粘土に松脂が生命を与え、銀色の燻し瓦が色鮮やかに甦る。
取材協力
有限会社窓清(まどせい) 愛知県高浜市青木町9-1-2
TEL:0566-53-0809 FAX:0566-53-0619

窓清は明治43年(1910)創業の三州瓦の老舗メ-カ-で、古来の松脂で燻した(燻化)したいぶし瓦(松脂燻化)を開発しています。伝統の瓦を最新の技術で、今に甦らせ、高い評価を受けております。
瓦の歴史
瓦とは粘土を一定の形に作り、瓦窯で焼いた物。主に屋根を葺く材料とするが、床敷きにも用いられる。屋根瓦には、本瓦葺き用と桟瓦葺き用とがあり、形状や使用場所によって平瓦、丸瓦、鬼瓦、桟瓦、軒瓦などとよんでいる。
・・・大辞泉(松村明監修/小学館)
瓦の語源はサンスクリット語のカパラから転化したとか、屋根の皮から由来するとか、亀の甲のかふらが転化したとか、色々言われているが、どれもその説の域を出ていない。
日本の倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう:平安中期の漢和辞典)には加波良(かはら)と書き、瓦は五寡の反とよばれている。

瓦という文字は、半円の筒型をしたかわらを互い違いに重ねた姿を描いた象形文字で臥(が:体を丸くして臥せる)と同系のことば。
・・・漢和大字典(藤堂明保編/学習研究社)
また、象形文字では粘土を曲げて焼いた土器の象形で、土器の意味を表す。
・・・大漢語林(鎌田正、米山寅太郎著/大修館書店)

写真左:とうてつ文半瓦当とうてつ文とは怪獣面文で魔よけの性格があるとされた。

写真右:雲気文円瓦当秦・漢時代になると半瓦当から円瓦当へと変化していき、文様が掘られるようになってきた。
瓦当:がとうと読む。丸瓦の先端に文様をつけた部分。

瓦は紀元前14世紀に初めてギリシャに出現し、屋根に用いられたと言われています。一方、アジアの中国では紀元前11世紀の西周時代に始まり、秦、漢時代に広く普及しています。
春秋時代には軒瓦として、半瓦当が作られ、秦・漢時代には円瓦当へと変化している。
日本へは崇峻天皇元年(588年)に、飛鳥寺の建設が始まり、このため百済(くだら)から瓦博士の麻奈文奴(まなもんぬ)・楊貴文(ようきもん)・陵貴文(りょうきもん)・昔麻帝弥(さくまたいみ)の4人が来朝している。仏教伝来後のその隆盛に伴う造寺の必須材料に瓦がなっていたと思われる。
その後、瓦は隆盛を極め、全国へと広がっていったが、現在のような日本独特の形をした瓦は江戸時代の中期に桟瓦に考案されたと言われている。この和瓦は左側に独特のうねりがあり、障子の桟に似ているところから、桟瓦とよばれている。
この桟瓦はいぶし瓦(黒瓦)であるが、明治に入り石炭が使われ初めてから、塩焼き瓦(赤瓦)が出現し、更に釉薬瓦が大正時代に完成し、現在に至っている。
瓦の製法
瓦作りは「一に土、二に窯、三に細工」といわれ、瓦は土と炎の闘いの中から生まれてきました。一般的に粘土瓦はいぶし瓦、塩焼き瓦、釉薬瓦の3つに分類されている。いぶし瓦は、黒瓦または銀色瓦等とよばれ、乾燥素地を窯詰めして焼成し、最終の焼成工程で燻化し、表面に銀色の炭素膜を作った物。
塩焼き瓦は赤瓦とよばれ、洋瓦として登場してきたが、煙害問題と需要減退で衰退傾向にある。釉薬瓦は陶器瓦とよばれ、釉薬をかけて焼成するもので、各種発色した物がある。
粘土瓦に用いられる原土は堆積粘土(有色粘土、雑粘土、低級粘土)が一般的である。従来は、粘土の産地に窯が出来、窯元となっており、瓦もその産地から、三州瓦(愛知県)、淡路瓦(兵庫県)、石州瓦(島根県)など有名であるが、それ以外にも能登瓦(石川県)、美濃瓦(岐阜県)、遠州瓦(静岡県)、菊間瓦(愛媛県)など有名である。
一般的な瓦の製法は次のようである。

いぶし瓦は燻べの工程で、松材、または松脂を使用し、不完全燃焼をさせることにより、瓦の表面に炭素粒子を付着させる方法。
だるま窯について

高浜市:高橋さんのだるま窯
戦後の一時期までは、原料に松材などをもちいて瓦を焼くだるま窯が各地で使用されていたが、松材の不足、窯の手入れの問題、そして煙害からの近代化への対応などから重油、ガスを原料とした焼成窯に変わってきており、現在ではほとんどだるま窯を見かけなくなっている。
ここ高浜でも一基だけ残っているが、現在では使用されてなく、市の指定保存物となっている。
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