20.鞄(かばん)と松脂(ロジン)
鞄の縫い目一つ一つに松脂が命を吹き込む。

取材協力
工房CAPTAIN(LEATHER CRAFT) 冨田 実氏
群馬県渋川市上郷2709-11 電話 0279-25-1217
冨田さんは靴・鞄の制作を30年。冨田さんの作る 鞄はすべて手作りで、その使いやすさには定評がある。私の鞄はじっくりと使いこなしていただけたら味がでるとおっしゃる。松やにとの出会いは、靴職人をしていたとき、そこの親方がひもに松やにを塗っていたのを覚えていたので、鞄職人になってからもそれを応用しているとのこと。
群馬県渋川市
冨田さんはここ渋川市に工房を作ってまだ日も浅いですが、ここ渋川市について簡単に紹介しておきます。渋川市は昭和29年(1954年)、近辺の町村が合併し、誕生しています。ここは緑豊かで自然環境抜群で、古来より人々が生活してきました。市内には中筋遺跡を初め、多くの遺跡群が見つかっております。近世には街道が整備され、三国街道と佐渡奉行街道が交差する交通の要衝として発展してきております。渋川市は「日本の真ん中緑の渋川」をキャッチフレ-ズとしています。つまり、「日本の真ん中へそのまち」として売り出しております。現在の人口は約5万人です。
また、ここ渋川市は伊香保温泉への入り口として有名です。伊香保温泉は徳富蘇峰がこよなく愛した温泉として有名であり、竹下夢二が晩年を過ごした故郷としても有名です。また、内田康夫の旅情ミステリ-「伊香保温泉殺人事件」にも紹介されていることはご存じの方もあると思います。

鞄の歴史
鞄は何時、どこから来たものでしょうか。始めに杞柳と言う言葉をご存じでしょうか。読み方はきりゅうです。杞(き)とは「こりやなぎ」のことで、柳の一種です。つまり杞柳とは柳をつかった行李(こうり)のことで、今の鞄の祖先みたいなものです。日本における杞柳の発祥は927年に編纂された延喜式に正倉院の調度品として、柳筥があります。つまりやなぎで作ったこうりのことです。
柳行李から発展して、明治時代には今のトランクのような革製のものが作られてきております。その後、欧米からのデザインの輸入や国内でのいろいろな改良を経て、現在のような鞄やボストンバッグ、ハンドバッグへと変遷してきております。
そもそも、鞄は中国語の夾板(キャバン)がなまったものといわれている。「鞄」はなめしがわを作る職人のことで、明治のとき、字義に関係なくこの漢字を当てたもの。・・・日本語大辞典(講談社)


トピックス《柳ごおりと皇太子殿下》
産経新聞(夕刊)2001年11月26日の新聞記事より抜粋・追加
2001年12月1日は皇太子妃の雅子さまに女のお子様がお生まれになった日として、日本全国がお祝い一色に包まれたことは記憶に新しいところですが、皇太子殿下が学習院初等科に入園されたとき、入園をお祝いして、兵庫県の豊岡市が柳ごおりのバスケットをお贈りしたことがありますが、このバスケットを非常にお気にめされ、いつもご愛用されたとのことです。当時の皇太子殿下の徳仁親王のご愛称から「なるちゃんバッグ」と呼ばれたことを記憶されている方もあると思いますが、今回の皇太子殿下のお子さまのご誕生に合わせて、同じように計画されているとのことです。実現すれば、親子2代でご使用されることになり、大変名誉なことですと関係者は語っております。
兵庫県の豊岡市は、但馬柳行李(こうり)の産地として知られており、杞柳製品の生産量としては全国一で、鞄の生産も全国の6-7割を占めています。
トピックス《古代のポッシェット出土/万葉人の先端ファッション》
朝日新聞・産経新聞など(2002年1月24日)朝刊記事から抜粋
7世紀頃の革製の鞄が三ツ塚古墳(奈良県当麻町)から出土したと橿原考古学研究所(同・橿原市)が発表したが、その時の記事内容が朝日新聞他各社の朝刊に掲載された。

革製かばんの復元図
それによると鞄の大きさは縦15-17cm、横17cm、厚さ10cmで、鹿の皮に麻を裏打ちし、黒漆を塗ったもの。腰からつり下げるポッシェット形のバッグである。金銅製のバックルおよびベルトを固定する金具が見つかっている。中国の唐時代の歴史書「旧唐書」の中にある、官吏の服務規定にある「鞶嚢(はんのう)」と呼ばれる鞄の記述から、今回の鞄が鞶嚢(はんのう)である可能性もあるとのこと。
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