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05.お線香と松脂(ロジン)

平安朝の貴族たちは、薫物合(たきものあわせ)等を楽しみ、やがて室町時代に茶道や華道とともに、香木を焚いてかおりを鑑賞する香道へと発展していきました。

取材協力

株式会社薫寿堂
兵庫県津名郡一宮町多賀1255-1
TEL:0799-85-1301

薫寿堂ホームページ:http://www.kunjudo.co.jp/

一宮町は兵庫県淡路島に位置し、昔からお線香の産地として地場産業をになってきました。淡路島は日本書紀にも見られるように、日本で最初にお香の原料である「沈香木」が流れ着いた所として知られています。薫寿堂では工場見学と同時に手作りのお香教室も開いていますので、立ち寄って「優雅なお香の世界」を訪ねてみませんか。

画像 一宮町付近の地図

画像 薫寿堂の写真

香料の伝来と歴史

お香の道

お香の始まりは、紀元前エジプトで宗教上の儀礼のために香料を焚いたことに始まるといわれています。このときに使われたのが、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)といわれる香料であり、乳香は「神」、没薬は「神の子(救世主)」として香料の代表とされていた。
お香はその後、サウジアラビヤを経て、インドに到達し、更にシルクロードを経て古代中国へ伝わったとされています。しかし、アジアでは乳香や、没薬より沈香が好まれるようになり、更に伽羅なども使われるようになった。

画像 香料の歴史解説イラスト

宋の陳敬はその著「香譜」乳香の条で、「南海波斯国の松樹の脂で、桜桃のように紫赤色である。」名付けて乳香というが、薫陸香の一種である。(不老不死の薬を求める)仙方に多く用いるが、邪をさける。その性は温かく、耳漏、中風、口噤、婦人の血風を療し、酒の酔いを早くし、風冷を治し、--中略--現今は透明な品を上品としている。
《参考》波斯国は昔のペルシャ、いまのイランあたりで、乳香が松脂と解されていたようです。
香料博物事典(山田 憲太郎著 同朋舎)

日本への伝来

日本へは、推古天皇3年(595年)に沈香木が淡路島に漂着したことが始まりとされています。
『日本書紀』 夏四月の条
沈水、淡路島に漂着(よれり)。その大きさ一囲(ひといただき)。
島の人、沈水を知らずして、薪に交(か)てて竈に焼く。その烟
(けぶり)、気遠く薫る。即ち異(け)なりとして之を献る。
(注)比重が水より重たくて水中に沈むから沈水香、略して沈水あるいは沈香とよばれる。逆に、水に沈まない物を桟香という。香木になっている部分は樹脂分の凝集度が非常に高い。

日本のお線香の始まり

お線香は薫香の一種ですが、わが国では1548年の「運歩色葉集」に線香とあり、1597年の易林本「節用集」は繊香と書いてセンコウと読ませている。
また、無暮禅師の「禅林兎器八箋」は「線香は仙香ともいう。種々の香料薬品の粉末に糊を加えて作る。香の煙は長く久しく保つから、仙香、長寿香という。そして細く作られているから線香という。」と説明している。
日本にお線香の形を作る技術が伝えられたのは、いろいろと説があり断定はできないが江戸時代の初期(寛文8年/1668年)中国からの帰化人によってもたらされ、抹香よりも取り扱いが簡単なところから、広く一般に用いられるようになったといわれている。
一方では、西川如見の「長崎夜話草(1720年)」では、長崎土産の一つに線香をあげ、五島一官という者が福州(福建)より伝えきて1595年頃長崎で作り始めたのが、始まりともいわれている。また、1573年に堺の小西弥十郎という人が、中国に渡海して製法を習得し、帰国してから作り始めたともいわれている。
《参考文献》:日本香料史(山田 憲太郎著 同朋舎)

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