ハリマ化成グループ

パインケミカル

松やに(ロジン)を訪ねて

09.奈良落戸遺跡から「封」出土

奈良県落戸遺跡から古代の「石の封印」が出土した。
封印する時に紐で縛って松脂を付け、上から印を押して封印したものらしい。
古代の印章と封印を取材した。
取材協力

奈良県立橿原考古学研究所
奈良県橿原市畝傍町1 TEL:0744-24-6747

奈良県立橿原考古学研究所は、奈良県内の埋蔵文化財の発掘調査や研究を目的として1938年に設立された。
そして付属博物館では、その調査・研究の成果に基づいた県内出土の考古資料を旧石器時代から江戸時代まで時代を追って展示している。
館内では専門スタッフの解説を受けたり文献・資料を閲覧することもできる。

画像 奈良県立橿原考古学研究所の写真
画像 橿原考古学研究所付近の路線案内図
奈良県落戸遺跡(奈良県生駒郡安堵町字東安堵小字落戸)
古代の重要書類と松脂の係わり

古代史に関する静かなブームが続いている。奈良県・高松塚古墳の発掘調査や島根県・荒神谷遺跡での大量の銅剣の発見、佐賀県・吉野ケ里遺跡の発見などといったビッグニュースに日本中がわき返ったことを記憶されている方も多いと思う。中でも奈良県は「大和は国のまほろば」という言葉に示されるように、古代史にまつわる話題の多いところだ。最近のニュースを振り返ってみる。

  1. 黒塚古墳(天理市)で三角縁神獣鏡32枚発見(1998年1月)
  2. 飛鳥池遺跡(明日香村)で「天皇」を記した木簡出土(1998年3月)、さらに日本最古の貨幣と言われる「富本銭」発見(1999年1月)
  3. キトラ古墳(明日香村)の石室内再調査開始。天井に天文図を確認(1998年3月)
  4. 吉備池廃寺(桜井市)巨大な回廊跡や九重塔の基壇跡など発見(1998年3月)
  5. 池田遺跡(大和高田市)から、かぶと・盾を装備した「はにわ」が出土(1998年7月)
  6. 勝山古墳(桜井市)から最古級の「ふいご」が出土(1998年9月)
  7. 幻の「軽寺(かるでら)」跡(橿原市)発見、塀の柱穴などを確認(1999年2月)

古代人と松脂(ロジン)との係わりを求めて、橿原へ行った。

1999年2月13日の各紙朝刊一面には、奈良県落戸遺跡からの「石の封印」出土を伝えている。 たとえば朝日新聞の見出しは次のようになっている。「古代の文書箱用?石の封印/8、9世紀、松ヤニ使い?」 奈良県安堵(あんど)町の落戸(おちど)遺跡で「封」と書かれた石印が出土したもので、奈良時代から平安時代初期にかけての8〜9世紀に、公文書の封印に用いられていたとみられる。平安時代の役所の記録に「重要な公文書などを運ぶ際に文書箱や木簡を糸で縛って松ヤニで封をする」という記述があり、この石印はこうした際使われたらしいという。

画像 奈良県の地図

取材に応じて下さったのは、奈良県立橿原考古学研究所の主任研究員今尾文昭さん。
今回の調査の責任者であり、ご多忙にもかかわらず、我々のために2時間近くも丁寧な説明をいただいた。およその内容は新聞記事の通りである。ただ今回見つかった石印は極めて貴重な発見らしい。
当時の印は、通常は、(1)銅製、(2)陽刻(文字の部分を浮き上がらせて刻印)、(3)正方形、(4)篆書(てんしょ)を基本とするそうだ。当時日本は、律令国家としての道を歩んでおり、公文書などに用いる印についても細かい規定があった。「公式令(くしきりょう)」という8世紀初の法律には、内印(天皇印)や外印(政府印)の形状や大きさなどの規定があり、また印材については平安時代の「延喜式」などから読みとれるそうである。
これに対して今回発見された石印は、(1)石製、(2)陰刻(文字部分をくぼませて刻印)、(3)長方形、(4)楷書(かいしょ)という組み合わせである。また古代印の出土例は200以上あるが、石製としては2例目、陰刻で「封」を示すものとしても2例目で、極めて特異な例だといえる。
公式文書に用いられたものではなく、地方の権力者が私的に使用したものと今尾さんは考えておられる。実物を実際に見せていただく。縦2.8cm、横2.4cm、現存高さ3.1cm、重さは34.12gだという。白色の流紋岩で作られた小さなもので、両指で楽につまめる大きさだ。印面の分析からは、今のところ朱や有機質は確認されていないという。ではなぜこの石印が松ヤニと結びつくのか。

画像 朝日新聞掲載記事の写真
朝日新聞
1999年2月13日朝刊
掲載許可
画像 出土した石印の写真
石の封印概略図

(出典:奈良県立橿原考古学研究所/新聞発表資料)
高さ:3.1センチメートル/重さ:34.12グラム/材質:流紋岩
印面:縦2.8センチメートル/横2.4センチメートル

画像 石の封印概略図

大江匡房(おおえのまさふさ)という平安時代後期(1041〜1111)の学者による「江家次第」という著作中に「天皇譲位の重要書類を松脂で封印した」という意味の記載があるという。また「儀式」という平安時代の法律にも、「文書(勅付)を入れた文書箱(飛駅函)を糸で縛り松脂で封印の上、「封」などの文字を書く」という規定があるそうだ。
今の親展用はがきもそうだが、重要書類を封印して改ざんを防止したり、開封がわかるようにする方法は古来よりある。

画像 封筒裏「緘」印
現在でも封筒の裏に「緘」と押されていることもある

古代中国では泥をかためて封印に用いる「封泥(ふうでい)」という制度があった。
また書類を木簡の間にはさみ、糸で縛った上で、墨で「封」「印」などと記載する「封緘(ふうかん)木簡」という方法もあり、これは長屋王家跡などの平城京跡から多数出土しているという。
落戸遺跡は、現在は池になっており、池の堤の改修にともなう事前調査で見つかったそうだ。古代官道の太子道とのすぐ近くにあり、文献からも上宮王家(聖徳太子一族)の故地の一角をしめている。
この地をたくさんの物資や人々に混じって、往時の重要書類が行き来したことは想像に難くない。
いま古代史が注目されている。新しい発見はその都度マスコミなどで大きく取り上げられる。しかし、それらは実に細かい、丁寧な、そして冷静な調査の積み重ねである。そして、それを支えているのが今尾さんのような方々の力である。取材の途中、研究所のスタッフの皆さんが、たくさんの出土品の大きさや重さを計量し、一つひとつ丁寧に仕分けておられるのを目にした時、つくづくそのことを実感した。