ホーム > パインケミカル > 松脂(ロジン)を訪ねて > 09.奈良落戸遺跡から「封」出土


パインケミカル

印章の歴史

中国における印章の起源

中国において印章の語は、古くは(じ:)と称していた。の字は金に従い尓(じ:璽に通じる)の声とある形成文字で、また尓はと同じく、土に従い爾の声、籀文(ちゅうぶん)は玉に従うとあり、秦時代以降玉を用いて作り、璽は天子のみ用いる物とされた。

注:籀文とは大篆(だいてん)といわれ、漢字の書体の一つで、
金文から派生した複雑な書体のこと。・・・大辞泉(小学館)

「印」は爪(そう)と(せつ)の合字であり、爪は持つ、は割符を意味し、その本義は政を執る者が持つ信(しるし)とし、すなわち官印を表現したものである。春秋戦国時代以降、中央官僚制度の確立とともに官吏の任命には璽を用いるようになり、璽印の発生とともに「封泥の制度」が出来てきた。秦の始皇帝が紀元前221年に天下を統一し、中央官僚制度を完成させ、璽の称は皇帝の専用とし、臣下はすべて印と称した。漢時代になると高級官僚の印に「章」、また「印章」と連用する制度が採用された。このようにして、後世「印」字は、広く上下の印章の通称となった。

印章(柏書房) 木内 武男著

日本における印章の起源

日本書紀の崇神天皇の条に「印綬を授ける」との記載が見られるが、歴史的な事実からみても編者の潤色とみるべきである。

画像 参考文献の写真
後漢書東夷伝

後漢書東夷伝には、後漢の光武帝の中元2年(西暦57)、倭の奴国が漢都の洛陽に朝貢して印綬を賜与されたと記述されている。このときの金印が天明4年(1784)に志賀島(福岡県)から発見された。

遣唐使、遣隋使の派遣により、中国文化の摂取により、わが国もその範を取り入れ、大宝律令を制定した。そして、大宝元年(701)大宝律令により諸国に新印の印様を頒付した。
このようにして、律令国家の体制の整うのに従い、中央政府と諸国との間に公文書の使用も多くなり、印章制度の確立となっていった。

木簡について

画像 出土した木簡の写真
藤原宮より出土の木簡

書類を木簡の間にはさみ、糸で縛った上で、墨で「封」「印」などと記載する「封緘(ふうかん)木簡」という方法があることは先に記載しているが、長屋王家跡などの平城京跡から多数出土している。長屋王(684-729):奈良時代前期の政治家で天武天皇の孫。

画像 木簡の図解イラスト
封緘木簡各部位の名称

長方形の材で羽子板状の柄を持つ形態の封緘木簡の使用法としては、木簡2枚一組で、紙の文書を挟んで封ずる機能がある。
表簡は外面(外側)に「封」字や充所・差出などを墨書きし、羽子板状の体部には左右から切り欠きを施すことが多く、その位置に紐をかけてから上から「封」字を書いた物である。
また、封緘木簡の機能として、紙の文書を納めた文書箱の上に乗せて封緘するという用法もある。
文書箱について史料から封緘の作法が知られるのは、飛駅の文書を納める飛駅函である。
その封緘作用は文書(勅符)を納めた函を糸で緘して松脂で封じた上、「賜某国」、「飛駅」、「月日時刻」などの文字を書き、さらに函を包む革嚢の一端に付す短籍(木簡)に「賜某国飛駅函」、「年月日時刻」、函の左側にも「副官符若干通」と書く。

木簡研究第十七号(木簡学会)
封緘木簡考/佐藤 信著

参考資料

  1. 朝日新聞 1999年2月13日朝刊
  2. 木簡研究第十七号(木簡学会) 封緘木簡考/佐藤 信著
  3. 印章(吉川弘文館) 荻野三七彦著
  4. 印章(柏書房) 木内 武男著
  5. 律令(岩波書店) 井上 光貞著
  6. 中国の印章(二玄社) 安藤 更生訳
  7. 大辞泉(小学館) 松村 明監修

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