16.彫金(ちょうきん)と松脂(ロジン)
鏨(たがね)の芸術・彫金
刻まれた線と点を演出する=松脂(ロジン)
取材協力
彫金・ギャラリ-忠 野沢 忠義さん
東京都台東区元浅草2-8-11 TEL:03-3844-0404

野沢さんは昭和11年浅草生まれ。
15歳から父親と一緒に仕事を始め、以来50年、彫金一筋。複雑な図柄も鑿(のみ)だけで見事に打ち出す。
彫金(ちょうきん)について
この松脂を訪ねてのシリ-ズ6で蝋型鋳金の取材をしたが、今回はその金工細工の一種である彫金について取材しました。
金工細工の方法は大きく分けると次のようになります。
●鋳金(ちゅうきん)・・・
金・銀・銅などの金属や化合物を加熱溶解し、土や砂、石などで作った型に注入して、仏像・花瓶などを作る方法で、鋳金、鋳造、鋳物といわれている。
●鍛金(たんきん)・・・
金・銀・銅などの金属およびその化合物を打ちのばしたり、縮めたりすることにより作品を作る方法で、鍛造(たんぞう)、槌起(つちき)、板金(ばんきん)などの加工方法があります。
●彫金(ちょうきん)・・・
金属の表面に鏨(たがね)を用いて文様や文字を彫ったり、透かしたり、別種の金属をはめ込むなどの加飾技法(象嵌:ぞうがんともいわれる)で、古くから装身具、武具、祭祀具、家具などに用いられている技法。
●その他・・・
上記の3つ以外にも金工細工としては錺り(かざり)や滅金(めっき)と呼ばれる方法もあります。
錺り(かざり)→→→金属の線を用いて鎖を編んだり、鑞(ろう)を使って金属を付け合わせる技法。
滅金(めっき)→→→銅や銅合金に金銀の鍍飾をする方法で、鍍金(ときん)ともいわれます。一般には水銀に純金を溶かしてアマルガムを作り、これを銅の表面に塗って鍍飾します。
彫金の歴史
蝋型鋳金(ろうがたちゅうきん)の歴史
古代オリエントにおいて、紀元前六千年頃から銅器文化が起こり、紀元前四~五千年にはエジプトにも銅器文化が起こった。中国では紀元前一千六百年~一千年頃の殷・商の時代に青銅器文化が栄えている。日本では紀元二~三百年のころに銅剣、銅矛、銅鐸、銅鏡などの制作に使われたが、石製の鋳型を用いる方法で蝋型鋳金とは異なっていた。
飛鳥時代に入り、百済から仏教が渡来するようになってから、銅型鋳型が多く作られるようになり、更に奈良時代に入ると佛教関係の鋳造が多くなってきた。それに伴い、蝋型鋳金の技法も開始されるようになった。この時代の代表的な蝋型としては、鶴林寺の聖観音(兵庫)、薬師寺の薬師三尊(奈良)などあげられる。
彫金の歴史
最初は銅器文化が起こり、その加工のために鍛金(たんきん)の技法が考案され、その後鋳金(鋳造)の技法が相次いで考案されたと考えられている。さらにこれらの技法の発達に伴って、精緻な金属加工の要求から彫金が生まれてきたものと思われます。いずれにしても古代メソポタミアの文化に彫金の技法が生まれ、色々と技術的に高度になり、世界各国に伝播していったものと思われます。エジプトで発見されたツタンカ-メン王の棺からは見事な金細工が出てきており、日本でも公開されたので知っている方も多いのではないでしょうか。
日本では紀元前三世紀の弥生時代に金属を使い始めたことが遺跡からもはっきりとしていますが、金や銅に金メッキされた馬具装飾やイヤリングなどは、とても2000年以上前のものとは思われないぐらい精緻な技術が施されています。さらに、時代が進んで飛鳥・奈良時代そして平安時代に入ると仏教の生活への深い関わりから、仏具、仏像などにその技の冴えを見せることになります。特に、東大寺大仏の台座の蓮片に残された毛彫りが貴重な遺産として残っています。
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