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22.松根油(しょうこんゆ)を訪ねて

「松根油」( しょうこんゆ )、とはほとんどの人が初めて聞かれる言葉と思います。しかし、太平洋戦争の末期、戦闘機用航空燃料の欠乏に直面していた日本軍は、一大国家プロジェクト「松根油緊急増産運動プロジェクト」として石油の代替燃料として全国に大量生産を要請していました。今回は岐阜県郡上郡明宝村(旧村名:明方村、平成4年に現村名に)、郡上八幡から北東へ約14キロ、国道472号線沿別名せせらぎ街道沿いにある明宝村立博物館を訪ねました。目的は、「松根油緊急増産運動プロジェクト」で実際に使用された松根油乾溜缶を求めて訪ねました。

画像 岐阜県明宝村の地図

取材協力

明宝村立博物館 主事:和田 隆男氏
岐阜県郡上郡明宝村気良154  電話 0575-87-2119

《明宝村立博物館の紹介》

和田隆男さんは初代館長の金子貞二(平成13年12月没)さんの意を受け、現在、明宝村立博物館の運営にあたられている。博物館には「国の重要有形民族文化財」として、「山村生産用具」を中心に収蔵している。和田さんは、「人の手で作られ、愛用されたここの収蔵品には、どんなにそれがありふれたものでも、かけがえのない個性、経歴、心を持っているんです。ここにある40,000点もの収蔵品の一つ一つに、耳をかたむけてほしい」という。その中の1つ、松根油乾溜釜が博物館の入り口に鎮座してあった。しかし、松根油や乾溜缶について尋ねると、誰からも逸話を聞かされたことが無く、ただ村の歴史書「明方村史」に出てくる和田さんのおじいさんにあたる和田徳重郎さんの記載があるという程度のことしか知らないという。

画像 明宝村立博物館和田氏と外観の写真

松根油とは

山や野にて、松の古木(樹齢40~50年以上)を伐採した跡に残った切株(伐採後できれば10年以上のもの)を掘り起こし、貯木場に蓄え、この松の伐根(松明=あかし又は、肥松=ひで)を小割(長さ20cm、5cm位の角材)にした後、カマス(わらで編まれた袋)に入れ乾溜缶に運ぶ。この松の根を鉄製の籠に入れ、チェーンで缶の中へ吊りおろし、乾溜缶の上蓋を締め、窯に火を入れ最初100度近くに高め、それから除々に180度位まで高めてこの温度で長い間乾溜を行い、最後には300~350度位まで高める。1回の乾溜に要する時間は14~16時間。
やがて気化した成分を冷却装置(冷水を満たした板製の水槽中に銅、真鍮または竹製の蛇管を取り付けたもの)を経て松根油を液化させ、タールと松根粗油に分けそれぞれの容器(明方村では木の容器)に蓄えた。・・・詳しくは後記明方村史参照

画像 松の木の根の写真1

画像 松の木の根の写真2

画像 松根乾溜缶の写真1

画像 松根乾溜缶の写真2

松根油とは

こうして得られる松根粗油は、比較的分子量の大きい次のようなものと推定される。
ジテルペン類(46%)、モノテルペン類(45%)、セスキテルペン類(7%)、その他(2%)との記録がある。

収油率

松の根の伐採後の経過年数の多いものほど収油率は高く、当時の海軍の見積もりでは、伐採後10年経過したものであれば収油率は20~30%だが、伐採後2年以内のものは10%足らずとの記録もある。

航空機燃料

松根油を当時の航空機用エンジンの燃料とするには更なる工程が必要で、分子量の大きな炭化水素を分解し、分子量の小さな軽質油にし、さらに硫化モリブデンを触媒として水素添加しオクタン価を高める必要があった。実際に航空燃料として利用された記録は無いようである。

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