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伝説のテクノロジー

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大地のロマンを表現する環境芸術としての陶壁

陶壁作家・藤原郁三さん

取り壊されるのが当たり前の芸術作品とは

 こうした陶壁には、絵画や彫刻などの純粋芸術と際立った違いがもうひとつある。陶壁が建築物の一部であるために、建築物が解体されるときには陶壁も一緒に取り壊されてしまうという点だ。建築物の寿命はさまざまだが、その多くは40~50年で耐用年数を迎える。つまり陶壁の寿命は40~50年ということだ。いずれ取り壊されるのが当たり前の芸術作品というものが、他にあるだろうか。

 実際、藤原さんが師事した河合氏の代表作である成田空港の陶壁も、空港ビルが新しくなったときに取り壊された。藤原さん自身の作品もこれまでに17作品がすでに取り壊されたり撤去されたりしている。

 しかし藤原さんは、それを陶壁の宿命として受け入れている。

 「絵画などの個展は、開催期間がせいぜい1~2週間でしょう。でも陶壁は何十年も人に見られ続けます。いってみれば超ロングランの個展をしているようなもので、その点では画家や彫刻家より僕の方が幸せかもしれません。芸術も社会との関わりが大切だというのが僕の考えですが、何十年も社会や時代と関わったのであれば、もう十分その役割を果たしたのだから壊されてもいいと思っています。陶壁は潔いアートなのです。もちろん何十年か後の次の世代の人たちが『この作品には時代を超えた価値があるから残そう』といってくれたらうれしいし、そういう作品がひとつでもつくれれば僕はそれで十分です」

 だが、実は今、その陶壁が危機に立たされている。バブル崩壊以後、陶壁の需要が激減し、リーマンショック以後は注文がパタッと止まってしまったのだ。そのため陶壁作家も現在は藤原さん以外、ほとんどいないのが実情だ。

 背景にはバブル期に一部の企業が著名な画家や彫刻家にデザインだけを依頼し、高額なデザイン料を支払ったため、陶壁は高いというイメージが定着してしまった影響もある。藤原さんの場合はデザインだけでなく制作まで一貫して手がけ、陶壁の制作費も決して高くない。しかし、いったん定着したイメージを払拭するのは決して容易なことではないのだ。また近年は空間のデザインも自分で手がけようとする建築家が多くなっていることも背景にある。大地震が起きたときのことを考え、建築空間の立体的な装飾を極力なくそうとする傾向があることも否めない事実だろう。

 陶壁は、ユニット(陶板)をひとつずつ組み立てていってつくり上げていく。だが、粘土は焼けば収縮する。しかもその収縮率は粘土の組成や焼成温度などによって異なる。そうした収縮率を考慮してつくらないと、組み立てがうまくいかない。だから藤原さんはデザイン画や施工図を書く作業から土の練りこみ、さらにユニットの組み立てに至るまですべての作業を自分の手で行い、ノウハウを修得してきた。

 しかし、実際の陶壁をつくる機会がなくなってくれば、そうした技術やノウハウを次の世代に継承していくことは難しくなってしまう。このままでいけば、陶壁という環境芸術そのものが廃れてしまう恐れさえあるのだ。

 実は藤原さんは15年ほど前から蛍光管廃ガラスのリサイクルによるエコガラスアート作品の制作に力を入れている。蛍光粉は残し、水銀は除去したこのガラスを藤原さんは「蛍ほたる硝子」と名づけ、レリーフや照明、壁面、スクリーンなどを制作している。あたかも和紙のような質感を持つこの「蛍硝子」による創作活動が、今の藤原さんのメインになっている。経産省などによる第4回ものづくり日本大賞もこのエコガラスアートが受賞した。

エコガラスルーバー(蛍光管ガラス)を用いた、宇都宮工業高校(栃木・2011年)。

 だが、この硝子アートの制作には、陶板を型に用いるなど、陶壁制作で培ってきた技術やノウハウが随所に活かされている。空間を演出するという意味では、エコガラスアートも陶壁も同じ土俵に立っているといえるかもしれない。「陶壁が低調になってきた最大の原因は、純粋芸術を持ち込んだことにあると思います。アートにこだわりすぎて、空間を演出するものだというスタンスが軽視されてきたのです。でも建築物というのは本来土でつくられているものであり、建築がある限り陶壁の役割もあるはずです。環境芸術としての新しいスタンスを模索することは必要ですが、陶壁が歴史的社会的使命を終えたとは思いません。河合先生が僕たちにしたように、今度は僕たちが次の世代に陶壁の技術を伝承していく責務があるのです」

 藤原さんはエコガラスと陶(土)という異素材を組み合わせた陶壁などの制作にも取り組んでいる。新しく開発した技術と組み合わせることで新しい地平を切り拓いていく。

 藤原さんのそうしたアグレッシブな取り組みにより、陶壁の技術はきっとこれからもさらに進化発展し、次の世代へとバトンタッチされていくことであろう。

穴窯「風餐窯」で焼かれた一刀彫で仕上げられた邪鬼とともに。

[ふじわら・いくぞう]1946年、大阪府出身。東京藝術大学美術学部日本画科卒業後、河合紀氏が主宰する陶房に入り、陶壁の創作活動を始める。1975年、独立し、栃木県の益子に藤原陶房を開き、これまでに約600ヵ所で陶壁作品を制作してきた。現在は蛍光管廃ガラスをリサイクル利用したエコガラスアートにも取り組む一方、手びねりした粘土を一刀彫りで仕上げていく邪鬼の制作にも力を入れている。著書に「陶」(京都書院)、「邪鬼―藤原郁三陶彫集」(叢文社)など。主な作品:サントリー梓の森プラント、花王栃木研究所、川崎市労働会館、KDD国際通信センター、栃木県立子供総合科学館、群馬県立太田工業高校、澁澤シティプレイス、東京大学理学系総合棟・小柴記念ホール。

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