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伝説のテクノロジー

伝説のテクノロジー

技を伝え、技を磨く。800年間、連綿と
受け継がれてきた伝統技法でつくる日本刀

刀匠 月山貞利(がっさんさだとし)さん

日本文化の神髄である技を守り抜く

 こうした伝統技法を代々伝えてきた月山派にも、その長い歴史において大きな困難に直面したことが何度かあった。

 たとえば1876(明治9)年、明治政府によって廃刀令が発せられたときがそうだった。一般人の帯刀が禁じられたことにより、日本刀に対する需要は大幅に減少したのである。と同時に、日本刀が実用品だった時代が幕を降ろしたのであった。

 だが、多くの刀工にとってそれ以上に厳しかったのは、1946年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって刀剣類が没収されたときだった。銃砲類の所持が禁止されたため、何十万本という日本刀が没収されたのである。このときは刀剣の製造も事実上、禁止された。廃刀令のときは、刀工が刀をつくることはできたが、このときはつくることさえ許されなかったのだ。そのため廃業、転業する刀工が相次いだのである。

 このとき、月山派の当主は、後に重要無形文化財(人間国宝)に認定された2代月山貞一氏であった。月山貞利さんの父親である貞一氏は、この苦境にじっと耐え、月山の伝統を守り続けた。その姿を身近に見ていたがゆえに、貞利さんは貞一氏の後を継いでから「何としても月山の伝統を守り、次の世代に伝えていく」と常に思うようになったのであった。そして今、貞利さんの後継者である長男の貞伸さんもまた「日本文化の神髄である日本刀の技を守り抜く」という強い思いを抱いている。

師匠と並ぶ息子の貞伸さん。「師匠は厳しいですね」。

 貞伸さんは大学在学中から父である貞利さんを師匠とし、鍛刀を修業してきた。刀工になるためには、刀匠資格を持つ刀工の下で5年以上の修業を積み、文化庁が主催する研修会を修了することが条件となっている。貞伸さんは2006年、刀工となる認可を受け、翌2007年、初めて作品を出品した「新作名刀展」で新人賞を受賞している。さすがは名門のサラブレッドというところだが、実は貞伸さんが「自分も刀工になりたい」といったとき、貞利さんは「刀鍛冶は苦労が多いからやめておけ」と諌めたのである。

 月山道場には、今も年に何人か、弟子入りを志願してくる若者がいる。その際にも貞利さんは「日本刀をつくる立場より、日本刀を買える立場になることを目指しなさい」ということが多い。

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