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伝説のテクノロジー

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狂言は人間の弱さを面白おかしく表現する“立体落語!!”

狂言師 善竹十郎さん

能舞台に松が描かれている理由

何事も「なるほど」が大事。完璧なんてありえません。“stay young”です。

 能と狂言はもともと「猿楽」から生まれたもので、いわば兄弟のような関係といえる。だから能と狂言はセットで演じられるのが本来の形とされる。俗に能は悲劇、狂言は喜劇ともいわれるが、実際にはハッピーエンドの能もあるし、悲劇的な狂言もある。善竹さん自身は狂言を「立体落語」と言っている。

 「思わず笑いを誘う面白さが狂言の真骨頂ですが、実は人間の弱さを表現しているところもあるのです。約束を破ったり、見栄を張ったり、嘘をついたり酔っぱらったり、人間にはさまざまな弱さがあります。そうした弱さも面白おかしく表現するのが、狂言なのです」

 もともと同じところから生まれているので、狂言も能舞台で演じられる。そしてこの舞台の背景には、必ず老松の絵が描かれている。もちろんこれには、理由がある。

 能舞台の背景に描かれた松は「鏡板(かがみいた)」と呼ばれている。古来、松は神仏が宿るとされており、神が天から降り立つときは松の木が依(よ)り代(しろ)になるといわれている。常緑樹で寿命も長いことから、松はめでたいものともされている。

 能・狂言は神事にともなって行われることが多く、神仏の前で芸を披露するという意味で舞台に松の木が描かれているというわけだ。

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