ハリマ化成グループ

伝説のテクノロジー

渋くつやめく銀色の光沢

独特の風情が目を引く淡路のいぶし瓦。
だが今、瓦産業は長期的な需要の低落に苦しんでいる。
淡路瓦を守り、挑戦を続ける企業に迫る。

栄和瓦産業代表取締役・浜口健一さん

飛鳥時代から続く瓦づくり

 ♪甍(いらか)の波と雲の波♪~。

 ご存じ小学唱歌の「鯉のぼり」(作詞者不詳)の最初の一節である。誰でも一度や二度は口ずさんだことがあると思うが、「甍」とは何かを知らずに歌っていた人もいるのではないだろうか。甍とは、瓦のことである。屋根の瓦がまるで波のように見える様子をこう表現したのだろう。

 東京にいると、瓦屋根を見ることがめっきり少なくなった。都心はもとより、郊外の住宅街でも目立つのはスレート屋根などで、瓦屋根は明らかに少数派である。

 「瓦の出荷量のピークは1995年の阪神淡路大震災の前後です。それ以後は毎年10%くらいずつ減っていき、現在はピーク時の20分の1くらいしかありません」

 栄和瓦産業社長の浜口健一さんがそう言う。

 日本での瓦の生産はおよそ1400年前の飛鳥時代に始まったとされる。その数百年後には、栄和瓦産業のある兵庫県の淡路島でも瓦づくりが始まったという。

 瓦の産地は全国にある。その中で淡路瓦が三州瓦(愛知)、石州瓦(島根)とともに瓦の三大産地と称されるようになった理由の1つは、地の利のよさにあった。

 淡路島は古くから四国と本州を結ぶ交通の要衝として栄えていた。港が整備され、海路で商都・大阪に荷物を運ぶのにも便利であった。そして大阪の背後には瓦を大量に使う寺社建築が林立する京都、奈良が控えていた。

 もう1つ、淡路が瓦の産地として発展した大きな理由は、土にあった。淡路で産出する「なめ土」と呼ばれる粘土は可塑性がよく、収縮率が低い特性がある。そのため精度の高い成形がしやすい。炭素や鉄分などの配合もよく、淡路独特のいぶし瓦をつくるのにうってつけでもあった。

練られた後の原土。とてもきめが細かい。

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