ハリマ化成グループ

次代への羅針盤

次代への羅針盤

realize your mission(あなたの使命を果たしなさい)

堀邊英夫

清水の舞台から飛び降りる覚悟で

 私は2013年に市大の教授に採用されました。しかしその前は民間企業に勤めていた経験があります。当初、京都大学を卒業した後は家庭の事情で就職の道を選び、1985年から2003年までは三菱電機に勤務していました。私のように18年間の長きにわたりサラリーマン生活を送った経験を持つ教授は珍しいかもしれません。

 三菱電機時代にはいろいろな経験をしましたが、特にターニングポイントとなったのは韓国に渡った経験です。2002年、韓国で3カ月間、サムスン電子と共同研究に取り組みました。当時、日本の半導体産業は世界の最先端と称され、韓国より大きく進んでいました。サムスン電子の幹部も日本に対して敬意を払っていましたし、若い社員などは「日本のような国になりたい」といってくれている時代でした。一方で私は、日本の半導体産業はいつか韓国に追い抜かれると直感的に感じていました。これからの日本はアジアの国々と協力し合って生きていかなければならないとも、強く思いました。

 それから1年が経ち、私は三菱電機を退職して高知工業高等専門学校の教員に転じました。もともと教職に興味を持っており、同校が高分子化学の教員を募集していたのでチャレンジしたのです。三菱電機ではそれなりの給与をいただいていましたし、先端技術総合研究所の主席研究員というポジションにもついていました。当時は自宅も購入してローンを組んでいましたから、まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟での決断でした。それでも、韓国で感じたことをいつか若い人たちにも伝えたいと思っていました。教員になって、ぜひその思いを遂げたいと思ったのです。

2002年頃、韓国にて妻のまり子さんと。

次のページ: 会社勤めをしながら博士号取得

1 2 3 4 5