次代への羅針盤
失敗の観察から本質を見抜く力が養われる
小舟正文
私の二刀流時代
大学時代は野球にも打ち込み、学内の対抗試合では20打数19安打でホームラン王と首位打者を獲得した
転機が訪れたのは、1986年のことです。姫路工業大学が社会人大学院生を募集していることを知り、知識欲が刺激されて応募することにしたのです。もちろん、会社は退職するつもりでした。ところが会社が働きながら大学院で学ぶことを認めてくれたため、私は二足のわらじを履くことにしました。
社会人大学院の修士課程では応用化学を専攻し、1987年には仕事として取り組んでいたPbTiO₃(チタン酸鉛)系単結晶の育成に成功しました。これは世界で初めてのことでした。
修士課程を終えると、やはり欲が出て博士号が取りたくなりました。すると、私がチタン酸鉛系単結晶の育成に成功したことをご存じだった天川清士先生が「あれ(チタン酸鉛系単結晶)は誘電体の典型的なものだから、電気を勉強したらどうか」と声をかけてくださったのです。
これは誘電体工学を本格的に学ぶ絶好のチャンスだと思い、私はその先生の研究室に入ることにしました。つまり修士は応用化学で、博士は電気工学を専攻したというわけです。
会社が支援してくれていたとはいえ、仕事をしながら大学院で学ぶのは決して楽ではありませんでした。修士課程のときは、授業が終わるとすぐ会社に戻って仕事をするという毎日。博士課程では授業はほとんどありませんでしたが、論文を書かなければならなかったため大学で実験を行い、会社に戻っても実験して、夜は論文執筆という日々でした。
こうして修士から数えて5年で博士号を取ることができ、私は再び仕事に専念することになりました。